私たち日本インクルーシブ教育研究所は、教育のあり方を根本から見直し、すべての子どもたちがそれぞれの個性を生かして学び、成長できる環境を目指しています。インクルーシブ教育とは、障害の有無にかかわらず全ての子どもたちが共に学ぶことを基本とし、一人一人のニーズに合わせた教育を提供することです。これは、特別支援教育の枠を超え、多様性を受け入れ、支え合う社会の実現を目指すものです。
私たちは多様性が認められる教育を目指し、発達特性のある子ども達への理解はすべての子ども達に繋がると考え「子ども達のそれぞれの良さを見つけて、広い視野で、あたたかな支援ができる人」を増やしていく活動をしています。
そして、すべての子ども達が互いの違いを知り、共に助け合い、学び合い、違いを認め合いながら、個々の特性を活かして大人になっていくことができる社会をつくっていきたいと思っています。
人と違うからといって、その子を排除したり、単に保護するといったことではなく、今を生きるすべての子ども達が「人は違うからこそ、おもしろい!」と感じることができるよう、誰もが違うということを前提とした『インクルーシブ教育』をすすめています。
人は誰しも、何かしらの病気や障害に直面するものです。ひょっとすると、この世の中に様々な病気や障害があるからこそ、私達は互いの違いに気づき、助け合い、学び合うことができるようになるのかもしれません。だから、人々が病気や障害にであうことは、すばらしい学びのチャンスとも言えます。
私たちは、個々の中にある病気や障害へのマイナスイメージを取り払い、誰もが生きやすい社会にしたいと思っています。
日本インクルーシブ教育研究所では、すべての子ども達が得意なことを活かし、苦手なことは助け合いながら自信を持って「私は(僕は)大丈夫!私が(僕が)好き!」と言える教育、そして、すべての人が個々の特性を活かすことができる社会の構築を目指しています。
2013年9月17日にインクルーシブな社会や学校を実現するためにNPO法人日本インクルーシブ教育研究所を立ち上げました。私、中谷美佐子は、子供の頃から計算に苦労し、それが原因で自信を失い、いつも不安に思い悩んでいました。
小学生の頃、単純な計算さえも困難で、常に紙に丸を描いて数えることで計算していましたが、数え間違えが多く、正しい答えにたどり着くことは滅多にありませんでした。このため、小学校の6年間はいつも教室で「当てられたらどうしよう」という恐怖に怯えていました。
中学に進学すると、不思議なことに数学は得意になりました。しかし、この新たな能力にもかかわらず、「またいつかできなくなるかもしれない」という不安が常に私を悩ませ続けました。この不安は次第に頭痛を引き起こし、ついには学校に行けなくなるほどに悪化しました。
ある日、母に連れられて人気の耳鼻咽喉科を訪れた際、医師が私の心の内を見抜き、「数学ができるのに不安なの?」と問いかけました。私はこの問いかけに答える中で、自分の不安の根源に気づきました。医師は「頭が痛くなりそうになったら、勉強なんてできなくてもいいと唱えること」とアドバイスしてくれました。この言葉を心の支えにして、学校に通うようになると、不思議なことにもう頭痛に悩まされることはありませんでした。
大学では文系を選び、数字に関わる授業は避けるようにしました。しかし、卒業後の仕事選びで、思わぬ形で再び数字と向き合うことになりました。アナウンサーとしてのキャリアは、予期せぬ計算の必要性により困難でした。しかし、ディレクターやナレーター、司会者としての仕事では、瞬時に時間計算をしなくて済むため、私には合っていました。
これらの経験から学んだことは、自分の得意と不得意を理解し、それを活かせる仕事を選ぶことの重要性です。私は、自分の弱みを知りながらも、その弱みが仕事にどれほど影響するかは想像もしていませんでした。アナウンサーという仕事はチームワークが重要で、それぞれが自分の強みと弱みを理解し、互いに補い合うことで成り立つことを学びました。私の人生の教訓は、自分自身の特性を理解し、社会の中で互いの良さを活かし合うことが、幸せへの道だということです。
このような私の背景から、私が目指すインクルーシブな社会とは誰もが互いを理解し助け合い一緒に生きていこうとする形です。このビジョンを実現するために、地球規模でインクルーシブな教育を伝えていきたいと考えています。
中谷 美佐子
広島生まれ。ノートルダム女子大学で英語英文学を専攻後、プロスキーヤーとして活動する傍ら渡米経験を持つ。帰国後は広島のテレビ局で報道制作局のアナウンサーやディレクターを務め、その後フリーランスでテレビ制作、ナレーション、司会を務めるなど、メディア業界で幅広い経験を積む。また、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で日本語と英語の朗読ボランティアも行い、社会貢献活動にも力を入れてきた。その後、教育分野の取材を開始し、特に発達障害と特別支援教育に焦点を当てた報道を展開。2010年には発達障害への理解促進と通常学級における特別支援教育の啓発活動を開始している。2012年には広島インクルーシブ教育研究会を発足させ、翌年には特定非営利活動法人日本インクルーシブ教育研究所を設立。2013年から10年間、FMちゅーピー・広島すまいるパフェで「MISAKO先生のVIVA!発達凸凹〜s!」という番組を担当し、インクルーシブ教育や子どもの発達についての情報を広める活動を続けてきた。2023年からは地球規模でのインクルーシブ教育に焦点を移し、インクルーシブな農業プロジェクトに挑戦中。国内外で教育のあり方を問い直し、すべての子どもたちが公平に学び成長できる環境を目指している。
Illustration by Naoko Ikeda
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